笑う推しには福来る

ファンレター書くタイプのオタク

引退した後もファンから10年以上推されている側の話

推しが引退した後

  • 何してるか気になって仕方ない人
  • 実際に行方を探している人
  • もう会えないことにいろいろな気持ちを抱えている人

など、様々想いを抱えたり行動している人はいると思います。
あくまで私の場合の話なので参考になるかはわかりませんが、もしピンとくる方がいたら、引退してもなお10年以上推されている側の話を読んでいただけたら幸いです。

◆活動当時のこと

高校卒業後~20代前半まで、本名ではない名義で、とある業界でとあるものを生み出して生計を立てていました。
芸能界ともこのブログで何度か出している同人とも違う業界です。
それなりにファンもついていて、私の生み出したものに課金してもらうことで生きていくことができていました。

◆引退のきっかけ

活動自体は精力的にやれていましたが、1人のやばい人に粘着荒らしされてメンタルをやられて引退という、よくあるパターンです。
(よくあってたまるか!という気持ちはさておき、残念ながらどんな業界でもある)

引退の理由や報告などはなにも言わず、ある日突然、ネットからもリアルからも当時の名前と実績を消してその業界での活動を終えました。

何年も普通に生活できていたぐらいには本当にたくさんのファンがついてくださっていて、いい評価やあたたかい言葉をいただけていても、たった1人のあたまのおかしい人にやられて壊れてしまったんです。

1人にやられたというのは後にわかったことでしたが、当時は何人もの人に誹謗中傷を受けていると思い込んでしまって、ファンや周りの人のことも何一つ信じられなくなってしまいました。
そして、この業界にいる限り、こういうことはずっとつきまとうと思い込んでしまって、耐えられなくなって、そっと消えました。

今なら法に裁いてもらって次だ次!ってなれますが、当時はまだ若くて、社会のこともろくに知らなくて、知識も精神的な余裕もなく、ただただ一刻も早く全く違う環境に身を置きたかったです。

◆引退後の意外な道

そんなメンタルズタズタの状態だったので、当時の名前で繋がっていたほとんどの人とは縁を切り、エゴサなんてしたらフルボッコに叩かれていると思い込み、見たら最後、本当に再起不能になると思って、とにかく『かつての名前での情報を見ない』ことに徹していました。

ただ、ここからが誰にも分かってもらえたためしがない、意味のわからない話になるんですが、幸い、活動の終盤はものを生み出すことよりも年一回の確定申告をすることの方が楽しくなってて、それで簿記の勉強から始めて、会計系の資格をいくつか取って、会社員として働き始めました。

そもそも私は何かを生み出すより、データとにらめっこする方が仕事にするには向いてたようです。
引退した分野で一生食ってくつもりでその分野の学校で勉強もしていたのに、全然違う分野の方が性に合っていたという。
(さらに言うと、今はもっと向いてる職に出会えたので、また別の資格を取って働いています)

そうやって、本当にたまたま他に自分に出来ることが見つかったので、壊れたところから再生できました。

このくだりは多分『ファンからの強くあたたかいメッセージや身内のケアで復活しました!』って言えたら夢のあるいい話になったんだろうなって思いますが、現実としては数字を見ていると気持ちが前向きになれて、データを集めて結果を出すことにわくわくして救われました。
本当に夢のない話ですし、まず『確定申告が楽しい!』という時点で会計系の仕事をしている一部の人以外にはわかってもらえず、フリーランスの人には引かれたことしかないです。
でも、それが私にとっての現実です。


あと、フリーランスより会社員の方が向いてたのも大きかったです。
規則正しい生活で(フリーランスの頃はめちゃくちゃでした)、よほどのことがない限り自分の近い未来のお金の工面をそこまで考えずに、自分のしたことを誰かが揚げ足とって叩くのにおびえることがない環境で(これはいたとしても転職して逃げることができるという意味で)、純粋に業務に集中できて、社会のこともいろいろ知ることができたのは本当に救いでした。
不満があれば上に相談したり、転職もできますしね。
少なくとも私は、会社勤めしてからはフリーランスに戻りたいとは一度も思ったことがありません。


つまるところ、元の業界に未練も全くなく、今の仕事に満足して平和に暮らせています。
また、現在やりたいことや観劇や別の趣味が出来たことで、引退した業界のことを考えることも自然となくなり、いつの間にかトラウマも忘れていました。

◆過去を思い出したきっかけ

会社員生活を数年送っていたある日、私を壊した人が、当時の同業者複数にさらにひどいことをしてついに捕まったというのが風の噂で流れてきました。
被害者の声を聞くと、みんな同じ手口でやられていて、その時にやっと、たった1人に追い込まれてただけだったんだって気づいたんです。

心はだいぶ軽くなりましたが、それでも、当時のしんどい気持ちを思い出したくなくて、その時はまだエゴサなどはできませんでした。


そこからさらに数年。
引退後に知り合って仲良くなった友人といつものように飲んでいて。
その子がたまたまいい感じに酔った勢いで「トラウマを掘り返したら申し訳ないけど、ずっとファンだった、だからこうしてずっと仲良くしてもらえてるのは今でも夢なんじゃないかと思ってる」と私に伝えてきました。

その子が私の過去を知っているのはなんとなく気づいていました。
私とは執念でつながったことも。
でも、それまであちらから私の過去に触れてこなかったし、触れられたくないのを察してくれてるんだな、なにも生み出してない今の私の友人でいてくれてるんだな、と思っていました。

その時に私から「あの当時のこと、まだ覚えてくれてるの?でももうなにも生み出さなくなっちゃったよ」って伝えたんです。
友人は当時どれだけ影響を受けたかとかいろいろぶちまけたあとで「生み出さなくなってるの知ってるけど、一緒にいると楽しいから今までみたいにこれからも仲良くしてほしい」と言ってくれました。

それを聞いた時、『過去の自分』と『今の自分』の両方を好きでいてくれる人がいたことが、純粋に嬉しかったです。
そこでやっと、過去のトラウマから解放されました。

ここまで来るのに、引退してから10年かかりました。

エゴサをしてみた

友人の言葉のおかげで呪いが完全に解けて、これまでずっとしなかった過去の名前でのエゴサをしてみました。
そしたら、複数のファンが今も私のことや生み出したもののことを語っていたり「この方のファンだったけど突然消えてしまってからずっと行方を探しています。今の名前を知ってる人がいたら教えて下さい」(意訳)って書かれていたんですよね。

そこで得られたことは「今もなお過去の私のファンでいてくれる人が何人もいる」だけでなく「私の過去を知っている周囲の人は誰も今の私の正体をバラしてない」ってことでした。
どちらのパターンでも、大事にしてもらえてることが、本当に嬉しかったです。

◆それでも正体をバラさないわけ

私の行方を探している人たちは全員、こうも書いていました。

「今の名義で生み出したものが見たい」

みんな、私が名前を変えて新しいものを生み出し続けていると思いこんでいるんです。


そりゃ、言えないですよ。
クリエイティブなことから完全に引退して、別の仕事や趣味を見つけて楽しく生きてます、なんて。
もし私だとバレて作れと言われても、その情熱自体がないから、昔のように魂のこもった、人の心を動かすようなものは絶対に作れません。

あと、クリエイティブなことから別の職種にジョブチェンジすると、何故か『本当は戻りたいのでは』とか未練があるように思われることが本当によくあるのですが、私に限って言えば、全くないです。
ガチでないけど本当によく勘違いされるので、当時を知っている人以外には昔のことを全く言わなくなりました。もちろん、今の私の推しにも言ったことはないです。

でも、過去の自分を否定したいわけではないし、10年以上経っても人の心に残り続ける存在でいられてるっていうのは、過去の自分の行いを肯定できることだったので、今もファンでいてくださる人がいたことはものすごく嬉しかったです。
ただ、だからこそ、夢は夢であるべきだとも思うので、これからも今の私のことをバラすことはありません。

◆ファンの声はいつかきっと届く

ファンの声は、ものすごく時間がかかっちゃったけど、一つ一つしっかり受け止めました。
反応はしないけど、スクショには取って保存できる限りの媒体に保存しました。
本人や関係者が見ているかもわからないのに何年も何度も話をしてくれるって、本当に好きじゃないとできないです。
お返しのできない身勝手な人間だけど、この先生きていくためのパワーはめちゃくちゃもらえました。感謝してもし足りないです。
ただのネット上の文章だと淡々としてる感じに見えてしまいそうですが、本当に本当に、心の底から嬉しかったです。

これは今、私に生きている推しがいるからこそ、わかったことでもあります。
ずっと好きでい続けるって、外野の声に流されない強い信念が必要で、ものすごい精神力がいることなので。
引退したあとも10年以上ファンでいてくださるって、めちゃくちゃすごいことですよ。
私の生み出したものをずっと愛してくださったことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

◆感想はどんどん発言すればいい

発言してる側はただ好きなものを好きって言ってるだけって思うかもしれないけど、作り出した側はその本心からの言葉を見ることで
生きててよかった!!!!
って本気で思うので、好きなものはどんどん言葉にしていこうっていう最近の風潮がどんどんスタンダードになればいいなあと思います。

作ってよかったと思うことももちろんあるけど、生きててよかったの方が先にきますね、私は。
(ただ、個人的には否定的な感想も、ちゃんと仕事を見た上でなら素直に思ったこととして発言してもいいと思ってます。なんていうか、同調圧力とかがなくて、思ったことをありのまま出せるのが理想です)

なにかを創ることを生業にしている人は、自分の生み出したものがどうだったかっていうのをものすごく気にしているし、それを次の仕事に活かしたり、人生の糧にしてるので、エゴサ日課ですし、直接いいねすることはなくても、ひっそり見て、幸せになってます。


ファンの『好き』がつまった言葉で、創り手は前を向いて生きることができます。
ファンを幸せにできたことがわかると、創り手も幸せになれて、もっといいものを作ろうとか、これからも頑張って生きようって思うことができます。
『好き』を直接伝えてもらえるのが一番だけど、伝える手段がなくても絶対に見つけ出すので、一方的なわがままではありますが、『好き』はじゃんじゃん発言してもらえたら、嬉しいです。



◆◆◆
あの頃の面影がないぐらい生き方も見た目すらも当時から変わったけれど、私は毎日幸せに生きてるので、もし私自身の幸せを願ってくれているかつてのファンがいて、この記事を偶然目にしたら、『当時とは変わっちゃったけど声は届いていたんだな、元気にしてたんだな』と思ってもらえたら幸いです。