笑う推しには福来る

ファンレター書くタイプのオタク

推し事4年目を前に~救って、救われて~

今日は推しの誕生日です。お誕生日おめでとうございます!!
日付が変わってすぐに、今の自然な推しの姿を見れて嬉しかったです。
めでたい日なので1日中ケーキをつまみにお酒を飲みながら仕事したいですが、そういうのダメな職種なので、今日はなにがなんでも定時ダッシュしてやります。


私が完全に推しを推しだした日がはっきりしないんですが、誕生日の直後で、誕生日プレゼントを贈りそびれてすごく悔しかったことは覚えていて。
なので、もうすぐ推しを推して4年目に突入します。
今日はそんな4年目にさしかかる直前の、ちょっと暗めで重い3年目とこれからのお話です。


昨日ちょうどこの記事を読んで、似たことがあったなって思ったとともに、推しに救われたことも思い出して。
ten-navi.com
※先に言っておくと、この記事のようなぐいぐい引き込まれるような話は書けてません。

この記事を読んだ時に、2年前の年末に同僚を亡くしたことを思い出しました。
同僚は2つ上で、近所に住んでいて、同世代のおたくだったので共通の話が多くて、彼女と月イチで2人でファミレスで閉店までおしゃべりするのが仕事に関わることで一番楽しいひとときでした。

もとから病弱だったわけでもなく、亡くなる前の年の健康診断でも特に問題はなくて、1日6時間はちゃんと寝てる人で。
それでも、がんだと分かってから3ヶ月でこの世を去りました。

報せを受けたのは年内の最終出勤日で、大掃除の後は納会でブチ上がって終わるぞ!って時でした。

聞いてまっさきに思ったのは
「ご家族が一番負担の少なくなるようにサポートして、会社の納会も完璧に盛り上げなきゃ」
でした。

今は止まれない。前を向かなきゃ。全力で生きなきゃ。

悲しむことを停止しながら、その日やるべきことを全力でやりました。

ご家族と葬儀やその後のことのやり取りをしつつ、納会で誰よりも飲んで、盛り上げて、気分の悪い人を介抱して、会場から全員が去って忘れ物がないかチェックして、翌日には酒を完全に体から抜いた状態にして通夜に行って。

職場の周りの人がサポートしてくれなかったとかじゃないです。そもそも私は幹事でもなかったです。
でも、彼女がいなくても私はちゃんとできるんだってことを彼女と一番仲の良かった自分が証明したくて、どうしても完璧にしたかった。

けれど、納会の帰りはいつもお互いを労いながら一緒に帰って、そのまま2人で朝まで2次会していた彼女がいなくて。
さみしいとかより「この先ずっといない」んだなあっていう、絶対に覆らない事実がありました。


年が明けて、今度は上司が早産からの育休に入って、職場で頼りにしてた人が一気にいなくなってしまって。
でも上司の出産は職場の誰よりも喜んでお祝いして、上司の心身に負担が及ばないよう、それまで以上に仕事を頑張るようになりました。

でも、自分は完璧じゃないし強くもないので、自分の自覚できないところでメンタルがボコボコになってしまって、ちょうど1年前ぐらいの今の時期から春頃までめちゃくちゃ落ちてました。
無理だーーーーーーって思いながら仕事してたのは覚えてるけど、どう業務をこなしてたかの記憶が本当にないです。

家では旦那がそっとしておいてくれたり、先に帰っていたらごはん用意してくれたり、そういうサポートがあったので普段の生活はなんとかなってたし、とても感謝しているのですが、「生きる楽しみ」を推しがくれていなかったら本当に引きこもっていたかもしれないです。


一番しんどかった1年前の2月と3月。
推しへの手紙で、仕事の感想と共に「しんどいことがあったり仕事が忙しい時期でやばいけど推しの演技を楽しみに頑張る!」っぽいことは伝えていました。

実際に行った現場での推しは、とても優しかったです。
そんなことしてくれるの!?ってびっくりしたことも何度もありました。
その優しさに生かしてもらえたのは本当で、この時期の手紙はしつこいぐらい感謝を伝えていました。
なんていうか、私のしんどい状況をリアルに見ていない人からパワーをもらえたことに、救われました。

ただ、1回だけ、推しの様子がおかしい現場があって。

ライブ→サイン会だったんですけど、サイン会で何度もちゃんと見てたかめちゃくちゃシリアスな感じで聞かれたんですよね。
その日の私は前方どセンターにいて、推ししか出てないステージで推し以外誰を観るの?っていう。もちろん、私だけでなくその場にいた全員がそうです。
そうでなくても推しは私が推し以外が出てる舞台でも推しの定点カメラをしてることは知ってて、その上でファンサしかけてきたこともそれまでに何度もあって、それを言うとドヤ顔になります。なのにその日はそんなことを聞いてきました。

思い当たる理由は、推しが緊張してて、コンディションも良くなかった以外にもあるにはあったんですが、その場では言える話でもなかったので、とにかく「見てたよ、こういうところ最高だったよ」って、ちゃんと見てたことを伝えて、推しを安心させることに注力しました。
推しはすごくほっとしたような、でもちょっと弱った話し方で答えて安心してくれたように見えました。

そこで、『推しの"今"をちゃんと見て、言葉で伝える』っていうのは、推しにとっても救いになるのかな、とぼんやり思いました。
いつも私は救われている側だけど、私(に限らずファンみんな)も、推しを救えていることもあるのかなって。

その時に

推しの状態があまり良くない状況だと、3mも離れていない距離でも、視線だけじゃなくて言葉ではっきり伝えないとちゃんと観てたってわからないこともある

と分かってからは、それまで以上に現場で観たこと、感じたことを書けるだけ書き尽くしていきました。


春になって、仕事の環境に慣れてきたのと、推しの現場でパワーをもらい続けたことで、いつの間にかちゃんと前を向けるようになっていました。
書いて書きまくっていた推しへの手紙はトータル100通を超え、推しも手紙を見てることを伝えてくれたり、たくさんの現場を踏んでいつの間にか年間出した手紙自体が100通を超えました。

去年最後の接触やその後の発言で推しはファンのことを『大事な家族』だと言っていて、その後もファンを大事に想ってくれている発言が今まで以上に増えて。
『大事だ』って想えるのって、相手に『大事にされてる』って思ってないとそうそう思えないことだなと。
あと、推しもどうも私と同じぐらいの時期に大事ななにかを複数失ったっぽい発言を最近よくしてるので、なおさら今そばにいる人を大事にしようと思ってるのかなとか。

私の憶測を多分に含んだ発言ばかりですが(それはいつもそう)、去年の私の状況と推しの発言から

『お互い生きて元気に会えるうちに後悔のないように推しの仕事を見て、伝えたい言葉は全部伝えていこう』

っていうのをものすごく意識するようになりました。

亡くなった同僚ともっと話がしたかったとか、こういうことができていればとか、今でも思うことがあります。
でも、それはもうできないことだから。
ならせめて、今大事にしたい人を大事にするしか、生きてる側にやれることはないんですよね。

だから、『推し事とは戦いだ』って思ったりしてて。
誰かを倒すんじゃなくて、共に生きるための戦いです。
たとえ先に斃れられても、忘れずに、けれど、前を向いてその先も戦い抜く。
(このブログは推し事用なので推しのことばかり書いてますが、普段は旦那と共闘して生き抜いています)
また、私の大事な人たちが私にたくさん生きる力を与えてくれているように、私も大事な人たちに何かを遺せていたらいいな、とも思うようになりました。


このブログに書いてあることは大げさに見えるかもしれませんし、私の推し方もやりすぎに見られていてもおかしくないと思います。
ただ、後悔するぐらいなら今できることをやりきった方が絶対いいです。

生きていたらそのうち、出会いよりも大事な存在を失うことの方が多くなります。
その時に立ち止まってしまわないためにも、今こうして前を見れていること、前を向かせてくれている人のこと、お互いを大事だと思える存在を大事にしよう、と、推しの誕生日と推し事4年目で改めて決意した話でした。